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闇黒光演劇論集 2007年代

    1. 非在と外在 -その1
    2. 力場の論理 -その1
    3. 俳優と役者
    4. 未知座小劇場第40回公演企画書(2007.03.25)
    5. 力場の論理 -その2
    6. 『演劇入門』から遠く放れて Yさんへ
    7. 演技について  引退・三遊亭圓楽
    8. 「未知座小劇場スタジオ」のために <その1>
    9. 焼肉とハツ 三木成夫 - その4
    10. 劇団吉祥じゅん&女騎士 ・ 『怪 〜北斎夢幻・外伝〜』を観る



非在と外在 -その1  演技について(2007.02.09)

きれぎれに、つれづれにいきたい。
*****************
昨年末、横浜の相鉄本多劇場で公演された千賀ゆう子企画の Sさんが、過日(先月のことですが)わたしたちの稽古場に来られいろいろお話を伺うことができた。
わたしの観た本多劇場の舞台は、「語る」ということがフォルムとして迫ってくるものであった。それは身体というフォルムといおうか、語るというリズムといおうか、明言できないそのような感触がわたしに差し迫って世界がたち現れてくるというものであった。それは語るというこだわりと方法(=身体)が垣間見えるというように誤読をしてしまえるものであったのだが、それもこれもわたしの尺度の狭さゆえの主観でしかない体感であって、これ以上綴ることは許されないが、ただ「女」という社会性を、語る=フォルム=身体というリズムでする近代史の再構築という総括は、語ることの決意性と政治性とともに少々圧巻であったのであった。喉の音声にまつわる筋肉に刻まれた発語の痛みが、記憶を呼び覚ますのである。
Sさんには、自身の含羞に負けて、これらの興趣をお伝えできなかったことが悔やまれる。ただただSさんがめくるめくように繰り広げる話題に相槌をうつとも知れず聞き入るしかないのであった。
かつての早稲田小劇場のことが話にでた。わたしは Sさんの話に耳を傾けながら、あることを思い出していた。わたしの「役者」にまつわる根源的なイメージはここから始まるものであるといっていいい。
わたしが早稲田小劇場の舞台に接したのは、1970年代初頭、大阪・東梅田にあった毎日ホールであった。今はない。現在、ジュンク堂という本屋さんがあるところだ。ここで観たのは『劇的なるものをめぐって 白石加代子ショー』と『ミーコの演劇教室』であった。手元の資料を参照しながらの話ではないので『劇的なるものをめぐって 1 』だったか『劇的なるものをめぐって 2 』だったか 『白石加代子ショー』であったか『白石加代子抄』であったかも、もう定かではない。
学生上がりのわたしには、この『劇的なるものをめぐって』はなんとも奇妙な舞台であった。今にして思い出すのは、白石加代子はそこでスポーツしていた。「スポーツをしていた」ではないことに留意願いたい。集中と緊張と身体の酷使。
ここで一際、わたしの意識と視線を釘付けにしたのは一人の男優であた。
後に小野碩であると知る。一言でいえば、えもいえぬ非在感。わたしの前に現前化された行為は、非在へ向かうものであった。存在そのものがあることによって、非在を行為するといえば、少しは言葉にしたことになるであろうか。エネルギーは内在化される。しかし蓄えられるのではない。茫漠たる荒野へ、寂寞を携えて飲み込まれるかのようであった。換言すれば、何もしないことを行為するということのように、ある。そのように非在する。
小野碩の憐憫の情を思い出していた。



力場の論理  -その1(2007.02.24)

1、はしがき 『力場の論理』をはじめるにあたって

力場とは望むべき行為が展開された場、あるいはされる場ということができる。
わたしたちはこの力場に、その力場が一意ではないので、常にたどり着くことができる、とはあらかじめなっていない。むしろ、混沌の中にこそ力場があるといいたいほどである。いずれにしろわたしたちは、日々の稽古場でする演技という仮設を携えてすすむしかないのである。
力場は語られるものではなく、ありうるかもしれない場であるから、ここで言う「力場の論理」はそれ自体としてはありえないというのは明らかである。力場について語ることはできるが、力場それ自体について語ることはできない。
わたしたちはなにかについて語ろうとするとき論理的であろうとするが、それは合理的であろうとするのではなく、さらにまして有意味でありたいと願うからであるが、そこで示されるのは論理に導かれた内容であり、論理ではない。論理的であろうとするとき、論理はつき従ってくることになる。逆説をもてあそべば、一つの断念こそ真に論理的であるということもできるだろう。つまり論理それ自体を論理的に語ることの意味はどこにもないし、そのようなことは条理ではないということになるだけである。
こうして力場について語っていくのであるが、あらかじめ何ほどか語るべきものがあるとして出発しているのではない。わたしたちが稽古場でする作業が、あらかじめ確定しているのであれば「何ほどか語るべきもの」があるであろうが、演技という仮設を携えてすすむしかないのであるから、ここで逃げをうっておくのではないが、それは試行錯誤である。しかしまたそれは、試行錯誤を整理しようというものではないことはいっておきたいと思う。
このような段階で命題らしきものを放っておけば、この力場で展開されるものは演技の結果であったり、演技そのものということになるが、それは可能性が行為される場であるということに他ならない。これを換言すれば「演技とは可能性を行為することである」ということになり、演劇とは「可能性が行為される場」であるということになる。このように力場は可能性を見据える仮設と行為なしには成り立たないのであって、そこは演技という作業仮設を踏まえてたどり着こうとする場であるということもできる。
このような前提に立っていえることは「力場の論理」とは、論理空間であると明確に言える。



俳優と役者(2007.02.25)


7500

みかんを頂いた。
まだ寝るまで間があるので、眺めた。
やはりこれはコタツに入って食べるのがいい。食べてしまうまで起きていようと思った。
あまく美味しかった。抜けてしまった前歯の歯茎が少しだけしみていた。
眺めているこのみかんは、固体、性質、関係のあり方としては規定できない。このみかんは事実である。固体や性質、関係は要素であって事実ではない。しかし、可能性を語るには、みかんという事実は固体、性質、関係へと解体されねばならない。それがみかんという事実が事態になることである。それは事実を再構成するこということであり、事実から可能性へ出発する準備が整ったことになる。みかんは対象になったのである。つまりみかんについて語ることができるのである。
ウィトゲンシュタインはこのように言っている(注1)ようなのだが、本当のところはよくわからない。いま「演技とは可能性を行為することである」とするとき、この可能性を語る手続きがいる。つまり可能性とは語ることなのだが、さらにつまり可能性とは言語のことであるとしなければ、俳優でないわたしは手詰まりとなる。わたしには日々の稽古場での具体的作業は意味であるからだ。
……
雑念のほうが飛翔する。
みかんがあまいのは性質である。またすっぱいも性質である。同じ性質であるなら、同化させることは可能であろう。砂糖をまぶせばいいなどは、愚の骨頂である。多分、みかんを食べた最初のヒトは「すっぱ、あまい」といったはずである。やがてこの「ま」は間延びするのでなくなった。この意味は「酢のようにあまい!」といったのだ。当時、酢の風味はあまいものの範疇だったのである。したがって、本来からすれば「すっぱあい」というとき、顔をシガメてはいけない。水飴をなめたようにである。試してみると風味が一段と増すはずである。
顰蹙をかっている貴方に……
上記は日本書紀には出ていないが、俳優の語源である「人に非ず優れたるもの」はなんのてらいもなく、「事態という諸対象を結合」するはずである。これは日本書紀に出てくる。
余談ではないが、かつて役者の語源として紹介した、役者の語源は役行者にあり、この役行者の「行」を忘れたもののことから来ているとお伝えしたが、これは誤報であった。訂正して改めると、役者は「厄者」であるようだ。こうなると「役者」という称号があたらしく思われるかも知れないが、実は邪馬台国の時代から「厄者」は卑弥呼としてあったという学説をわたしは支持している。ともあれ、俳優より役者のほうがシャーマン性が強いことは間違いないようである。
脈絡上どうしても紹介しておかなければならないが、厄介者のことである。厄介者は役者の遠縁にあたるものであり、介する場が舞台でないだけであり、日々の生活次元で虚構をたくらみ、精進していると思われる。それは、世にいう「役者はツブシがきかない」という格言からもわかるように、厄介者と範疇において紙一重という証左であり、論証するまでもないことである。日本史の中にこの厄介者が登場するのは、江戸時代の元禄文化の時世と重なる。厄介者はまた、食客の属性を多く持つことはいまさら言うまでもないが、生活の剰余の中に生息するのであるから、文化が育まれる剰余の時代を待つしかなかったのである。
なお、開陳した言説は孫引きが多いので出典を明らかにすることは、ご容赦願うことにした。
(注1)「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」(野矢茂樹・哲学書房刊)から乱粋





「帝国キネマ」と「手話」 / 未知座小劇場第40回公演企画書 (2007.03.05)

      【 編集注記 】この文は『 闇 黒光/更新記録・編集後記 』に記載されたものである。
2007年2月下旬、未知座小劇場次回公演の企画ミーティングが行われた。まあ、企画書を提出しての会議ではないので「ボツボツ……どないなもんでっしゃろ」というレベルでの雑談会であった。というわけで、日々の稽古の開始。走ってそれぞれをはじめたわけである。
2回目の企画会議は3月初旬。これも企画書を提出してのミーティングではない。が、とりあえずいろいろな要請をわたしは出した。まあ中心は「手話の習得、マスターをお願いします」という程度の滑り出しである。もちろん、なぜ手話か、という説明はできない。論理展開はできるが、説明はできないのである。
「手話の勉強をお願いします」は昨年のテント公演が終わったアタリから、それとなくブツクサいいはじめた。独り言であったり冗談の中に鋭くもぐりこませたり、聞えないように言ったり、何ほどかの手をうって来たつもりなのだがなかなか、当事者達は動き出さない。業を煮やした末の要請であった。
前回の未知座小劇場の公演『大阪物語』には多くの異語が逆巻いた。だがやはり、日本語に取り囲まれた他の言語であり、ここではいかほどかであるであろうが、日本語を担うことで社会的である身体は異化され相対化されようとするであろうが、われわれが生得する日本語という言語の社会性からついに無縁であることはできない。つまり言語という社会性によってわたし達は文化をはぐくむという結果の中に浸るしかないのであって、ついに日本語の外に、日本語を携えて出ていくことはできないのである。それは言語によって言語とは何かを考えることが自己言及性として不可能であるようにである。言語を確定するには言語の外に出なければならない。それはホモサピエンスをやめるということであり、言うまでも無く空論である。うまい喩えかどうか自信が無いが、そこにある並ベニヤを計るために持ち出した金尺でその寸法を取ることはできるが、持ち出した金尺でその金尺自体の寸法を取ることはできないのである。わたしの眼はわたしの眼を見ることはできない。わたしは鏡をとおしてしかこの眼を見ることができない。老婆心ながら、この事態を演劇的に解決することが求められているわけでもない。
これが限界のすべてである。思想的かつ政治的にである。それは、ここで言う社会性が、権力国家という枠組みを大きく包み込んでいることは疑いないからである。さて、そんな限界をいかに突破するかが演劇に突きつけられた課題であるが、舞台で遊ぶという表現は、ついに敗北を続けている。つまり表現に達していないといっても過言ではない。わたし達の前に世界はそうたち顕れているのだ。
それもこれも言語のなせる業だといっているに過ぎないが、さて、言語能力のすべてを日本語化という社会性にささげた、換言すれば、成長の中でどっぷりと生活に慣れ親しんだわたしが、違和という反措定であったとしてもこれまた、わたし自身がわたしを抹殺できないように、言語が言語をして抹殺できないように、わたしが日本人をやめたといっても、日本的なるものからは逃亡することは原理的にできない。根底的にはどうしても、母語や公用語を変えたとしても、ついに言ってしまうがそれは四つの塩基の配列によって書き込まれた情報という、わたし達のDNAをかえることはできないのだ。
このようにしてわたし達は演劇の不可能性を際限なく羅列することはできる。
だがさて、演劇の不可能性は根源的であるのであろうか。そうではないであろう。DNA(Deoxyribonucleic acid)の問題であれば、ことはたやすい。ヒトゲノムとしてクローンを用意すれば問題は解決する。もちろんと断るまでもないであろうが、それは論理性としてである。つまり、ヒトゲノムも祖先をたどっていけば、一人の母親にたどり着くにのであれば、DNAはすでに民族という血を凌駕しているのであり、そこでは社会性は問題とならない。これは命題たりうる。つまり、排中律として解決しうる。
わたしたちの本能である言語能力は、ソシュール(Ferdinand de Saussure ・1857年-1913年)のいうように社会性を帯びることによってのみその力を持つことになるのであり、問題はこの社会性というものの中にあるということだけである。だが、この社会性をわたしたちは選び取ることができないのだ。構図はこうである。問題はそこにあるということがわかっているにもかかわらず、それを拒否することも否定することも、ついにそれ自身をして解明することもできないのである。
わたしはここで超越論的に、あるいは先験的にある一つの表現の出自を位置づけるようになることを恐れるが、それは逆説的に、問題補正のパースペクティブとしていたし方のないことかもしれない。
さて、迷宮とヒトゲノムにおさらばしてミーティングの話に戻ろう。
わたしたちは、この社会性のなかで社会性を反措定をすることは可能か?問題はこのように提出されている。ミーティングの出発はこのようにしてあるしかないのだ。
この問いに対して、一つの仮設をさしはさむことができるのは「演劇」という形式に他ならない。その一つの仮説として『大阪物語』は行為された。いまはその先を目指さなければならない。そこで可能性を行為することが、演技という方法であり、社会性を反措定することの一つである。可能性は行為されなければならないのだ。そこでは日本語が英語に置き換わることではない。それはあたかも文化を選び取るような幻影が成立したとしても、その主観性が対他性のなかに投げ込まれるとき、社会性が壁となってたち顕れるのではなく、身体がまず軋轢の巣窟を孕み、呻きを漏らさざるを得ないのだ。社会性を選択できるなどという幻想はその先の夢である。
これらのことが論理として展開できるにはまず、この社会性が世界性に止揚される道筋が発見されなければならない。つまり社会性が世界性へと転位しうる言語論とはなにかという設問を投げかけても同じことである。ここにまず、僥倖にも一つとして「手話」が登場する。手話は言語であるが、エスペラント語ではない。ほとんどアタリをつけたのだといっているに等しいのだが、それは日本語の手話があると同時に、手話という世界性があるという含意に重なる。例えば日本語という言語に英語という言語などの異言語を射程し、言語という範疇において世界性はありうるではないかという反問には、そこでの言語レベルでは文化の異差は踏破されず、社会性は相対するのみであるということで、まずは切り抜けることができるだろう。問題は言語という身体によって社会性を反措定しうるかどうかということであり、それ以外ではない。演劇は課題をそのように担っているのである。
もう一つの措定を紐解いてみよう。メルロ=ポンティー(1908年-1961年)を持ち出すまでもなく、身体とは言語のことである。日本語という言語はわたしたちの身体そのものであり、言語はわたしたちの生活の中で抽象的には立ち振る舞わない。頭が痛いというわたしの言葉と意志は、手のひらを腹ではなく頭に持っていく。米人が自身のことを示すとき、親指を立てて自身の鼻を指さすが、わたしはわたしの手のひらを胸に持っていく。日本人の痛い肩はあり、肩こりはあるが、ところ変われば肩がこるという概念はなく、背が痛いとなる。必然的に同根であっても対処法が異なる。身体に刻まれた感覚の発露としての言語として、虹の色の数を持ち出すまでもないだろう。これらはやはり精神のことに、こころの問題になるであろうか?もちろん言語という想いの発露は精神やこころの意思化であるのだから、それらは精神のことに、こころの問題であることは間違いないのであるが、言語母体という身体を捨象することはできない。
お断りしておきたいが、ヘーゲル的一元論を身体論で切り抜けようと、それを囲い込んでいるのではない。唐突に聞えるかもしれないが、ここでは三木成夫(みきしげお ・解剖学者、発生学者 ・1925年-1987年)の「生命の記憶」に接近しようとしている。三木成夫はこころとは内臓の動きと結びつくと語る。短絡するが、感覚や知覚を、そして心のさまを、単に抽象的な精神的なものとするのではなく内臓や体壁系の発露だと解剖学として語る。そういう生命の記憶としての身体。三木成夫の体系性はほとんど燦爛に美しく、このような身体論をわたしは知らない。
わたし達未知座小劇場が、次回公演の第1回の企画会議において三木成夫の思想とその紹介文(注・1)をレジメとして採択したとき、その演技論を展開する立ち位置をそこと仮設したのであった。わたし達の揺れ動くこころはそこにある。
こうして演技という思考は開始された。可能性が行為されることが残されているのみである。だが、そこにはどのような思考(=演技)によって漸躙しうるのか。
それに応えるように、第2回目の企画会議で参考図書『論理哲学論考』(著・ウィトゲンシュタイン ・ 岩波文庫)(注・2)が示された。『論理哲学論考』を理解しようというのではない。ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein ・1889年-1951年)を知ろうというのでもない。思考するということがどれほどのことなのか、その圧倒的な困難をかいまみることが、少しは体感できるのではないかとした。「私はどれだけのことが考えられるのか」、「どれだけのことが語りうるのか」と……
演技とは、まずどれほど思考するかということであり、それに基づいての可能性の行為である。可能性の行為ということをあからさまに言ってしまえば、十年先、あるいは百年先からこの今に立ち顕れるということである。何をいっているのか十分認識しているつもりであるが、それはやはり不可能と同義であるだろう。であるが、もう一つ十二分に判ることは、板の上に登り役者たらんとする身体は、可能性を行為することなしにそこで生きることはかなわない、ということである。このようにして価値は定位される。ならば、それを演技と呼ぶか、あるいは表現と呼ぶか、それはもはやわたしの知ったことではないのである、ということになる。
さて、………。
やはり最後に残ったのは行為である。行為とはなにか?それは板の上で為すことと勘違いしてある、あるいはそうと気付かずあってしまう、したがって多く見かけ、興ざめすることとなる「説明」という作業、ひらたく言えば演技モドキのお遊びのことではない。それが、何がやりたいのかまったくわからないと診うけられるうえでの、他者に向けられた説明という交通形態が、突然変異的に反転して、自己に向けられた場合(ひらたくいえば、十分に間をとって一人気持ちよくいるということである。一人で芝居をするとも言う……)はどうかと問うことは無効である。行為は対自性、対他性という範疇ではなく、それ自体として即時性であり、重心を呼吸するという肝の置き所と、その排気としての全体であるからだ。
……やはり、残るべくして残ったのであるが、これは語られることではない。生きることであるからだ。稽古というその場で試行されることであるからだ。行為は一つの瞬間の全体であり、そのとき時間の概念は、主体の向こうに押しやられるように思われる。こうして可能性を行為するという事実は、語ることを不能にする。それを今ここで、去ってしまい行過ぎたものとして語るとき、それは構造という全体を獲得する時間化作業のようにも思われる。つまり、それは行為を経験に押し上げる作業であるだろう。この人為的な作業は、記憶の中に住処を与えるということに他ならない。独断すれば、行為を語るとは、時間の物語化であるのだ。
このようにして、行為は語ることができないものであり、生きることに他ならない。これらの俳優の演劇的営為に立ち会うとき、観るということも行為とならざるをえないのだ。だから演劇は演劇たりうるのであろう。そしてわたしたちは、舞台という現場を出たとき、稽古場という現場を離れたとき、行為を概念化した別物として体験しようとするしかできないのである。それは、すでに行為そのものではない。つまり、行為 ∼ 体験 ∼ 経験というメルクマールが言語であり概念化なのである。いわずもがなそこが、そして残念ながら、演技論の在り処であり、演技論そのものである。
ともあれ、可能性を行為するとは、すでにお分かりのように、可能性一般を行為することではない。それは、自己の可能性を行為することだ、ということは言うまでもないことなのである。このようにして、十年先、あるいは百年先という可能性は、論理においてのみ、今のここにおいて事態となったのである。未知座小劇場ではこれを力場と呼ぶのであった。やはり論理は、経験より前にあるのである。

一つの思考の仮設はようやく一回りすることができたのであるが、ここで初めてドラマツルギーの提出が許されることになった。それは「手話」をしてするドラマツルギー化である。それはまた「帝国キネマ」と「手話」の位置づけである。
この拙文の中ではそう大した位置は持たないのでサラリと流し、台本上執と稽古場の中に投げたいと思う。
「帝国キネマ」)(注・3)は今のところ強引にも<無声映画>を表出している。この<無声映画>と「手話」が出会うのは発見である。わたしの台本準備プロセスでは、おこがましいがこの事態をこれまでも発見と呼んできた。この到来こそが、常に待ちに待たれるのである。
発明が残る。今回は「無・声」をキーワードに人為的な圧力を想いに、イメージに、俳優に、場に等々へと施していくのである。それが台本原稿の升目を埋めていくという作業である。そして当然、発明化の作業が実を結ぶ根拠はどこにもないし、なんら約束もされていない。いつものようにそうあるように。
最後の「幕」の一文字が置かれ綴られるかどうか、誰にもわかっていない。

【 注記 】
(注・1)  三木成夫といのちの世界 ・吉増 克實    (参照Webページ)
(注・2)  『論理哲学論考』(著・ウィトゲンシュタイン 刊・岩波書店)
(注・3)  帝国キネマ演芸株式会社



力場の論理 -その2(2007.04.02)

演劇の在処

ドストエフスキー(Фёдор Михайлович Достоевский, 1821 - 1881年)は『カラマーゾフの兄弟』を書き上げた三ヵ月後に他界した。59歳。
この数字は今のところわたしには象徴的な数字であるが、さて、例の「大審問官」の前のあたりの章で、退役将校スネギリョフがアリョーシャに手品を見せるのであった。アリョーシャの兄・ドミートリィが飲屋の前で、スネギリョフに対して行った粗野(?)にたいする、ドミートリィの許婚・カチェリーナに頼まれ届けにきた示談金である200ルーブルを、その紙幣二枚をうけ取っての手品であった。
退役将校スネギリョフの住まいは貧民街にある。極貧であり、喰うものもない。家族の病者を医者に診せることもできない。そのとき娘の給金を飲み込んだように、何かを呑み込み示談金200ルーブルを懐に入れておけばすべては解決したであろうし、その上子ども達の夢も叶ったのだった。
手品はこうである。真新しい札が、退役将校スネギリョフの両手の中で、一瞬にグシャグシャになり、足元の泥の中に埋まるというものである。
スネギリョフは身を翻して去る。アリョーシャは悲しみをいだいて佇む。
未知座小劇場にすればこの100ルーブルは1億とは言わない、リアルなとこで1000万だろう。脈絡からいくと、無言で2000万を懐に入れて瞬時にそれを消して私腹を肥やす、というのがスネギリョフの向こうを張った、わたしの手品としておきたい。それが、ここが、「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となる」や、演劇とは思想ではなく論理である等など、あるいはそれに類する野暮な種明かしなどやめて、素知らぬ顔して早速以下を綴っていくことにしよう。
一つの設問を投げよう。「人前で虚構を糧になにかを、この身体をして為すこと」とは?
これがが始まりでいいように思われる。それがア・プリオリではなく、その身体に関わる目的意識性であれば、一意であるといえないが、やはり一つの結果であった始まりであるだろう。つまり、この目的意識性はある思念や、状況的な必然性によって導かれただけであり、時とところを得ていたのであれば、違う始まりがあっただけなのである。一般論としてはそうだ。
ア・プリオリに仮説せざるをえないのであるが、それでもこの目的意識性が、所在無げ、違和、苛立ち、不審、無力、厭世感等々という陰性的なるものに根ざし、あるいは憧れ、昂揚、……等々という陽性的なるものに置換しうるならば、これはもうほとんど「人前で虚構を糧になにかをこの身体をして為すこと」とは宗教であるだろう、ということを踏まえないわけにはいかないからである。ここでは論理としては、演劇が射程されるのではなく、口ごもるが「真きの自由が望まれる」だけである。
物事は具体性の中にあるということであり、そこでア・プリオリに仮説されるだけであって、他意はない。それでもなおリハビリや社会参加というベクトルは顔を出すが、それは論外である。つまりその向こうに身体の「真きの自由が望まれ」て、見据えられるわけではない。それのみが求められ、妥協の今があるのではない。「虚構を糧にする」
とは、それは「制約をなくす制約をする」という仮設である。開放という概念は仮説されることはない。



『演劇入門』から遠く放れて

Yさんへ その1・お芝居に興味があるのですか?
Yさん、メールありがとうございました。うれしいかぎりです。そして、進学、新しい門出おめでとうございます。
もう遠い記憶の彼方ですが、ありふれた言葉で言えば、不安と恍惚のなかで溺れてしまいそうな、えもいえぬ昂揚感や開放感を噛みしめているのではないのでしょうか。そして少しばかりの寂しさを……
きっとかけがえの無いひとときなのだと思います。
自身の追憶に浸る余裕もなく、貴方のような十代の方から、そのうえ女性の方からメールを頂く機会などそうないものですから、この何日間どのように返事を差し上げたものかと、少々悩んでしまいました。
壮年を過ぎたであろうわたしが、世代をこえてアドバイスできることなどが何か、多分このようなかたちではそう無いのだろうと思っていたものですから、余計です。貴方が興味をもたれたお芝居について、身の丈を過ぎていかほども言うことはできないと思われます。それはより多く、公演に向かって稽古やその他の準備をすすめていこうとするとき、その具体性を貴方に、貴方の世界として示すと思われるからにほかなりません。
少しだけ具体的なことになりますがお許し下さい。
わたしたちはいまでは同世代の者たちがほとんどとなっていますが、ときに20代の方が仲間に加わりともに舞台を目指そうとするとき、多くのプロセスの中でわたしはわたしのやり方を見せつけようとすることしかできませんでした。それが十分であったかどうか自信はありませんが、多くの願望があったとしても、今後も多分そのようにするしかないのでしょう。そのA君に注目しようとする暇がないからです。こうしてその20代のA君はやはり、戸惑いながらも自分のやり方、自分の思うところをついに差しだしていくことになるでしょう。そうしなければ、自分の居場所を見つけられないからにほかなりません。だれもやはりA君のことがわかるとかわからないとかではなく、また無前提に解ろうとすることなどできないのですから。
こうして齟齬や違和、あるいは納得感等々が日々の稽古の中で培われたとき、関係の模索が始まります。稽古という仮設された場で、初めて相手を位置づけようとし、何ができるのか、そしてで何がきないのかが問い詰められていくでしょう。言葉を換えれば、個々の生活史が具体性の中で対象化を始めることになるのでしょう。これはやっと舞台を目指そうとするための稽古がはじめられようとする、そんなところが見え始めたということになるのではないのでしょうか。
言葉を翻すようですが、こんなA君に先に生まれてきたというだけを楯にとって、アドバイスができることがあるとすれば、それは、飯の食いかたであったり、酒の呑みかたであったりなどというそう大したことにはならないでしょう。
Yさん。
貴方の「高校のときから、お芝居に興味があったので、今度演劇サークルに入ってみようと思っています。多くの方と知り合いになれるとも思っています」というメールへの返事が、どうやら大した文面にならないようだと、言い訳を並べてしまいましたが、こんなことを踏まえたうえでも多くのことが綴れると思います。たまには、がんばってみようと思っているところです。
また、お便り差し上げます。(2007.04.03)

Yさんへ その2・大阪は桜が満開です

Yさん、大阪・八尾は桜が満開です。
昨日、デジタルカメラをかかえて出かけてみました。左が長瀬川の桜並木、右が玉串川です。
Yさん、その後入学式やオリエンテーションなどと新しい生活も動き始め、九州からでてきた貴女の一人暮らしの寂しさも日々の中で溶けはじめたのではないでしょうか。友達はできそうですか?
わたしのイメージは三十数年前のものですから、ずいぶんと様変わりなのでしょう。それでも各サークルの勧誘の波は貴女にも押し寄せているものと思われます。演劇サークルからの勧誘も受けたのではないのでしょうか。きっとあせる必要はないのです。見たり聞いたりして、貴方の観じたその想いを十二分にふまえ信じて、ゆっくり決めればいいはずです。あせる必要などどこにもありません。またそうなったとしても、違うなと思えば引き返せばいいのですから。
貴女のメールによると、貴女は専門を情報言語科学にしたいということが希望であるようですが、経済原論をめざし(全然勉強はしませんでした)たわたしには、情報科学までは想いを運べますが、情報言語科学となるとコンピューター言語のことかななどと限定され、皆目イメージが広がりません。その上、バイトもやるということですから、演劇、学部、バイトというその八面六臂は、多分若さというエネルギッシュな思いは、もううらやましいかぎりです。
少しだけ与太話です。わたしの学生時分は「大学解体」などという標語がキャンバスに飛び交い、そこは学問(?)をするところではありませんでした。大雑把に言えばその存在性を問ったのですから、そのための勉強はしましたが、カリキュラムそれ自体は「ナンセンス」というわけです。早い話が、講義には出ないというわけです。では「自主講座」かというとこれはカッタルク、飛躍すれば「学問」するために大学を辞めるというのが論理性でした。で、まあすべてはそうはならず今も大学はあり続けています。そして在野での「学問」も持続しているでしょう。
これらに対する政治的な物言いは置いておきますが、いまは、優れたそして魅力的な、真摯な教授や研究者たちがいたから、今も大学はあり続けている、と素直にいうことができます。で、一つだけ横道にそれれば、昨今の若い人たちの演劇(脈絡として十把一絡げです)がだめになったのは、80年代以降、大学に演劇学部というものができ始めてからです。演劇を「学問」するということと、俳優の卵等々を再生産すると言うことは決定的に違うということですね。ここでいう「演劇」というものがあるとして、それはやはり人から教えてもらうものではないといまさら言うまでもありません。わたしが射程する演劇は「学」としてはありえません。
Yさん、貴女が興味をもたれた演劇は、多分いまのところ演劇サークルのなかにあるのでしょう。でもそれはきっと「学」ではないでしょう。貴女や貴方々が発見していくものとしてあるはずです。そこに貴女の先輩や、多くのOBがいたとしてもです。
大学は「学問」をするところではない、などと水を差すようなことを言ったかもしれません。でもそれは貴女次第だというフォローもしたつもりです。ぜひ多くの本を、今まで以上に読まれることをお勧めします。それはやはり勉強です。貴女自身のための勉強でしょう。でも「学問」や「演劇」は貴女自身のためのみかどうか、そうでないのか断定するには、この歳になっても力量が及びません。
こんな逸話があります。廣松渉(1933年 - 1994年)という哲学者がいました。何の本に載ってたのか忘れましたが、この方が学生のとき毎日900ページ本を読むという目標を立てたそうです。彼の本を読むと然もありなんと思うのですが、わたしの実感では、一日、飲まず喰わずで本を読む、それは修行に近いもの、です。まあ日によっては、帳尻あわせで漫画本も読んだんだろう、と思うのはわたしの軟弱性ですが、ここに25時という発想を持ち込めばどうなるでしょう。これも何かの本に載っていました。
1日24時間をそうでなくすと強引に歪曲、ということですがさていかがでしょうか?うまくいけば「毎日900ページ本を読む」は可能になるかもしれませんね。可能なら十面八臂です。
若いときにどのくらいの本を読んだか、どういう読み方をしたか、どんな本に出会ったかでその人の人生が決まる、などとよく耳にします。これがわたしにとってどうか断定するには早いのですが、もう少し(本当は少しどころではありません)読んでおけばよかった、と思うだけなのですが、さて、発想の巾とイメージをひろげるためには、この格言めいた物言いに二言はないでしょう。一つの、ものごとの充足があるとしたら、どのような新たなる発想で物事を捉えられるか、ということはその一つであるといえるでしょうから。
またお便り差し上げます。(2007/04/07)



演技について  引退・三遊亭圓楽 (2007.05.01)

テレビのチャンネルを変えると 番組は落語家の三遊亭圓楽をおっていた。
2005年10月に脳梗塞で倒れる。復帰のための稽古や一門の様子。2007年2月、 国立演芸場での『芝浜』、現役引退を表明した記者会見で終わる。
引退。……しゃべれない、口がまわらない、自分が許せない等々。「星の王子さま」時分はテレビでよく見かけていた。
テレビ番組をみながら感慨に耽っていたわけではない。思いを巡らせたのは、三遊亭圓楽とはなんら関係ないのだ。たぶん、芸というものへ、あるいはそのものいいだろう。
この番組で芸といえば、三遊亭圓楽が築き上げてきたものすべてであり、それ以外にはない。その一つとして、客の前での口演があるのだが、三遊亭圓楽が自身を、噺家あるいは落語家として、それに芸を全的に重ねるのであれば、香座あるいは興座(≠高座)が、それがすべてとなる。だがしかし、残念ながらすべてがそれに重なり、蜜月のことのみがあるということはついにない。たとえば、視点を変えれば、芸とは生きるすべであるということができ、そういうものいいもある。それは、芸とは技術のことだけではないと示しているに過ぎない。
落語を客席から看ることができるとすれば、わたしには噺家が消えることを思い描いての落語としてある。呼吸という間が重なる。息があう。排気のリズム。鼓動の増幅、騙る。こんな場に噺家が消え入るのである。話芸を、語るという属性を消去するために、それを発揮させるかのように。語るものは語る(=騙る)ことによって己を消す。
これらはまずマクラをふることによってここから出立するのだ。それは己を消すための手立てとしての構造の提示である。今のこのここから、目指すそこに旅立つのだ。
わたしはこの最高形態といおうかその原初形態を、田舎の古い民家の囲炉裏端や、少しばかりの隙間風が行き交う障子や襖で囲われた、掘りごたつの一間を想定する。
「ばあちゃん」が孫や近所の悪ガキなどの幼子に囲まれている。お河童頭のちっちゃい女の子が、洟垂れ小僧のおにいちゃんの陰から「ばあちゃん」を覗き込んでいる。幾筋もの皺の刻まれたその口の縁から話しがこぼれて、始まるのだった。ここではすべての息が、不思議なくらいあい、長く止まる。息苦しさは、「ばあちゃん」の安堵で操られ、場はため息の排気に包まれる。面白い話し、奇妙な話し、怖い話し。遠野物語や上田秋成ほどではないが、そんな話しの一つや二つはあるだろう。だがしかしここには芸は無い。その範疇の外である。老婆の生きてきたという時の重ねが幾重にもあり、その口から出る静かな「むかしな…」という圧倒的な最初の一言に、ガキたちが「うん…」とあいづちともいえず、思いを返したとき、すべては始まったように終わっているのである。
さて、幼子(=客)が百人、二百人となるにしたがって、扇子や手拭がいる。出囃子があり拡声機が必要となる。これらは「三遊亭圓楽が築き上げてきたものすべて」である芸に通じる。つまり芸が必要となるのである。ではさらに、客が一万人、二万人となったらどうか?これはまばたきが見えないという意味で愚問であろう。それはもともと興業という座元の話しなのだから。
興業という座元の話しから芸は引き寄せられたと仮設してはばからないのだが、だからといって落語という、ことの本質はこれらの小道具や見え隠れする話芸にあるのではない。それは、ここで仮説を一つ披瀝させていただいてするなら、その虚言の論理性としては、あの「ばあちゃん」が、出囃子とともに高座の座布団の上に座るということにある、とせざるをえないからだ。そこに本質はある。
落語家とは女形の習いであるといっているのだが、囲炉裏端をすて衆座の前に「ばあちゃん」があるには、この「ばあちゃん」を形式として衆座の前に置くしかないからである。そこを囲炉裏端にはできはしない。囲炉裏端にすれば、それは落語ではない。つまり場の「ばあちゃん」が形式として高度に抽象化されるには、男がこの「ばあちゃん」を行為するしかないからである。話術を芸たらしめる制約である。
換言するまでもないであろうが、それは囲炉裏端を落語の中に形式化することであろう。また落語家は「ばあちゃん」を己をして形式化する。形式は重複して強化される。この術が落語家の芸に他ならない。他ならぬそこに話芸があるのだ。
こうして囲炉裏端という場は芸によって抽象化される。その仮想された作業工程の本質は女形という仮設であり、それが落語という話芸の芸たる所以であるのだ。
上述の論理性が落語というものを前にして仮説足りうるかどうかわからないが、これらの総体を演技として捉えるなら、そのように仮設することは可能である。その証左でもなんでもないが、仮りにこの落語家が女性であったなら、このトリプルクロスカウンターは究極である。だから女性の落語家が少ないといっているのではない。そこに女優という素晴らしさと困難さは横たわっているだろう、というだけである。女優という場は性ではない。男優という性を仮設するという、演技の側面を必ず内包し、女優は舞台の上でもう一つの女となる。このとき男優は小ざかしいものに過ぎない、ということである。これがトリプルクロスカウンターという演技の内実である。
さてさて、ここから先は女優論である。

芸に引退という二文字はどのようににじり寄るのかと、そんなことを考えていた。




「未知座小劇場スタジオ」のために <その1> (2007.07.19)

 解釈学や言語学を援用するまでもなく、人は言語(パロール)によって思惟する。さらに思惟を重ね、思考する。それはこうあると仮設する<世界>に理念としてにじり寄ることになるだろう。このことはまた、わたしたちが筆記具で文字を綴ることによってそのリズムを肉感し、一抹のエネルギーらしきものを磁場として体感できることでわかる。こうして、文字を書くということも、そのことによって思考することに他ならない、ということができる。ではさて、演技という地平ではこのことを、どのようにいうことができるであろうか?
 身体による行為の反復といえば、それはあまりにも原初的で原始的な想像力を行使する、ということに通じるが、やはりそこから始めるしかないということも疑いがないのである。ここでいう行為とは、まず記号としての指示性を持たない<事柄>であるから、一義的に意味に還元されない。つまりこの試行錯誤を、俳優は言語によって思惟するのではなく、まずは身体によって思惟する、ということができる。これを、人の属性を言語によって思惟するものであるとするなら、俳優の身体とは言語にほかならないことになる。暴言でもなく言いきれば、演技とは身体を言語化して思惟することであるといえる。さらにまた、俳優は身体を持つものだけのものではない。住みつく場としての舞台を持つ。つまり、舞台とは身体を言語化する場のことであるのだ。
 未知座小劇場スタジオはこの俳優の属性を恒常的に確保することを目指そうと思う。それが未知座小劇場という小屋である。未知座小劇場スタジオとはこの小屋を舞台として、稽古場として私有化するシステムのことである。




焼肉とハツ 三木成夫 - その4 (2007.09.08)

残暑厳しきおりと思われます。皆様もやはり、ウダル暑さに根拠なく耐えておられるでしょうか。
驟雨や夕立を期待しましょう。
といいながらも、鰻の蒲焼いただくか、焼肉をつつきながら生ビールというのは、こよなく結構でしょう。生肝、生レバー、ユッケもさらに上品です。生センはもう歯にあいません。
昭和20年代、戦後まもなくの話です。大阪・鶴橋の焼肉屋さんでオヤジが開店前のネタ仕込みをしておりました。食糧難の折から、仕入れもままならず、赤犬の肉でも混ぜたいと秘かに思っていたオヤジですが、バレた時のことを考えるとふみきれない小心者。ふと残飯桶に目をなげると、下働きのお初さんが、切り分けて捨てた肉のなかからなにやらより分け、それを洗い場に持っていこうとしています。どうするのだと声をかけますと、マカナイに使うといいます。おもわず「もっとエエ肉あるやろ」といいそうになりましたが、そんなものはどこにもありません。
マカナイは大変おいしかった。生姜とニンニクをつけてサッと炙っただけ。ただそれだけでした。オヤジはお初さんに「どこの肉や」と聞いていました。
もうお分かりのように、翌日からその店では「ハツ」としてメニューにのぼりました。これがハツ肉のゆわれですが、人によっては語源は「heart」にあるともいいます。 ハツといえば鳥や豚の心臓の肉のことをいうのだと物の本にありますが、最近の焼肉屋ではハツでとおります。やはりお初さんの心使いですからニクからずハツは初だということでしょう。
さて、ハツは「ココロ」ともいいます。
問題はどうしてハツがココロなのか?
ココロが後から来たのは明らかでしょう。heartやお初に語源が求められるということは、一ひねりが必要だったことを意味します。このひねり具合が必要でなければ、はじめから心臓の肉は「ココロ」です。この直接性をためらうところに「heartやハツ」があるということです。したがって「heartやハツ」が一般性という認知度の具合によって、「ココロ」という直接性、想起される直接性は薄められ、その用語の位置と意味を一般性の中で情報効果をもったということになります。
ここでわたしが射程せざるをえないことはここには、心臓=心が、わたしたちの文化に仮説としてあったのだ、ということです。
三木成夫は心とは内臓である、といいます。誤解を導くいいかたですが、わたしはそのように三木成夫を読みますが、それはわたしにとっては五臓六腑のことだとしてみることができます。五臓--肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の五つの内臓。六腑--大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の六腑。
肝を潰すとは五臓の反応と思われます。腑に落ちるとかいう心の、あるいは気のありようは大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の落ち着きさ加減なのでしょう。わたしの田舎の九州・大分では驚くことを「たまがる」といいます。これは、金玉の玉が上がることです。……女性の方はなんというか知りません。忘れてしまいました。三木成夫とは少々離れたことになるのでしょうが、たぶんそれはわたしたち日本人といわれるものの五感に刷り込まれているのでしょう。
こうなると、脳死臨調が1999年に示した脳死(脳波の停止、無呼吸、瞳孔開放等)は人の死ではなく、心は生きていることになる。心があるのだから人は、死んではいない。想像に難くないのは、三木成夫はこの脳死という人の死に対して異をとなえたであろう、ということです。もちろんわたしはこれを演劇的に解決しなければならないが、その道筋のすべてはレスピレーターに向かいます。
余談ではないがテレビで、閉じこもった横綱・朝青龍の部屋を訪問した精神科医という方のぶら下がりインタビューの「心の問題です。精神状態が安定していない。脳内でホルモンの分泌がうまくいかずバランスが崩れています(わたしが聞いた大要です)」が流れていた。素人ながら、ホルモンのバランスが執れず、精神的にまいっている。つまり情報処理能力が落ちている、という現状のようなのだが、それと心の問題がどう絡んでいるのか判然としない。むしろ渾然という趣である。心が病んでいるといっているのか、精神的におかしいといっているのか、それは順逆どうのこうのなのか?この方も素人なのか?脳科学からすれば心とは精神なのか?
心と精神……

旧日本帝国陸軍には樫の木で作られた精神注入棒というのがあったそうです。

パースペクティブとしてはこんなとこだろうか。つまり、俳優に向かって「気力で何とかするしかないだろう」などという非論理性を吐かざるを得ないそこは、どこだというのか?それはどのような意味で非論理的なのか。そのとき論理性という精神作業は、三木成夫のいうこころにどのように爪あとを立てているのか、いないのか。 ……ということは問うことができるだろう。
たとえば、俳優は舞台の登場人物になりきらねばならない、とかいう戯言を聞いたりします。能舞台のように亡霊、モノノケ、幽霊、化け物、生霊、鬼だったらどうするのだろうとか、たまさかなりきったとしてその後はどうするのか、女形はどうなるのか?などと思わず半鐘を入れたくなります。歴史的にみたとしても、この物言いは言葉のアヤなどという高尚なものではないし、また仏師が一つの木塊に、仏の心を彫るといういう話に似るものでもありません。少々しつこく付け焼刃で申し訳ないが、「アルプス交響曲」などで知られるリヒャルト・シュトラウスのその創作意欲がドイツ最高峰のツークシュピッツエ山頂を征服したのだ、などということとはまったく意を異にする。それは良くいえばリアリズム観に対する、日本の社会主義リアリズム演劇観からの論難なのでしょうが、そうその出自を理解したとしても、亜種としてのリアリズム演技観となるといただけません。
いくらなんでも、やはり紙数には限りがありますので、すべてをわたしに回収したとすれば、この「なりきらねばならない」は、ついには五臓六腑のリズムを自身に重ねる、それを根拠にする、ということになります。換言すれば、それは呼吸という身体のリズムの問題であり、すべからく事はこちら側にあります。先走りますが、それは演技とはと問うとき、それを精神性、論理性、思想性、身体性等の個々に分断しないということを意味します。
ここでようやく実存主義的な肉体という言葉を持ち出すことができるはずです。しかし、この肉体は下部構造だとする曲解を許容します。演技は下部構造に規定された弁証法的な上部構造に属する作業ではないのですから、当然、この肉体は身体という言葉に置き換えられることになったはずです。
わたしはこのことを哲学史的な言語論的展開になぞらえてきました。演技とは認識論の問題ではなく言語論の問題であると。
さてさて、混乱を避けるためにこで筆を置きますが、さしずめ前期ヴィトゲンシュタインに習えば、このあたりのことを”演技としての言語論”と名称したとして、それは 「7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない 」となるかもしれませんが、演劇的営為とは、どうしても「語りえぬものについてこそ、沈黙を破らねばならない」はずです。それが、わたしたちが揚言する”演技とは可能性を行為することである”からに他ならないからです。
最後に、誤解を恐れず、稽古場で用いられる言葉に置き換えてみたいと思います。
行き詰まり、煮詰まった稽古場で「緊張感がないよ」であったり、「集中力がないだろう」であったり、最後には神頼みのように「根性で何とかしろ」となる元凶は、方法論のなさと作業仮説の資質を個的作業に求めてしまうからでしょう。それでも、このあたりに踏みとどまり、歩一歩を進めるには、解剖学的に心を解き明かそうとした、その三木成夫の体系性に、三木成夫の呼吸のリズム論を逆手にとって、静かに向き合うしかないように思われます。


【 注記 】 老婆心ながら、なんといいましょうか、断るまでもないのでしょうが、本拙文に登場する「お初さん」は、ここだけのはなしとさせていただきます。




劇団吉祥じゅん&女騎士 ・ 『怪 〜北斎夢幻・外伝〜』を観る (2007.09.26)

  「劇団吉祥じゅん&女騎士(ワルキューレ)」の芝居を観たくて九州・大分に出かけた。片道ほぼ800kmの木戸までの、わたしにとっては旅といっていい道のりは、自宅のドアを開けるまえからすでにはじまっていた。
  こちらにいればせいぜい、小一時間ほどの電車で出かけ、飲み屋でクダ巻いて帰るのがその道筋とオチだが、九州までとなるとそうはいかない。何せこれはやはり大いなる贅沢なのだ。往き復りで最低二日はかかる。観るということに気力が要求される。芝居を観に出かけるというのは、こうでなくてはならない。本番を屹立させるに耐えうる、こちら側の観客になるための相応の努力は、常に求められていると識るが、年にそう何回もあるものではない。あらかじめ、板の上に登る身体が役者であることがないように、観客もまた為るものだと……
  吉祥さんの芝居は、昨年の福岡・博多公演に続いて二回目である。このようにわたしは「劇団吉祥じゅん&女騎士」の、いわゆるいい観客ではないのだが、それでもここでなんらかを綴ろうとしているのは、失礼しっぱなしで二言がないわけで、せめてということになろう。でもやはり、すでに語るに落ちる。
  こうしてかろうじてできることは、舞台から差し出されたであろう、あるいは吉祥さんの「闇」を手がかりに、わたしのそれらしきものを整理してみることができるならそうしてみる、ということとなろうか?自身にグイとひきつけてみよう。

  公演場所の「別府市コミュニティーセンター」は、驚いたことに大分県立別府青山高校の真前にあった。青山高校という響きには一言あるのだが、それは今回はおいておこう。また、今も女子高校であるかどうか定かでない。
  同コミュニティーセンターは別名「芝居の湯」ということだった。別府市営のスーパー銭湯といえば一般性がでるだろうか。当然ながら銭湯がある。実は、JR別府駅前にある「高等温泉」の湯ぶねに、時間調整のためつかってきたのだった。「芝居の湯」でも十分時間はあったのだが、観劇前のもう一風呂という勇気はさすがにないのであった。
  多目的ホールでの公演である。それは立派に櫓を構えた歌舞伎小屋である。どういう意味で多目的ホールなのか分からないのだが、舞台間口6?7間。昨年の博多のホールとはまったく違う。吉祥さんの息使いや視線が観えるのだ。舞台がみさだめんとする闇がわたしに口をあけるかどうか定かではないが、吉祥さんの呼吸のリズムに重ねるわたしのリズムを探ることが、許される「ここ」と「そこ」である。
  世界は「葛飾北斎」によって定められる。絵師である。「ここ」を絵姿として映し写し取るものとして舞台に投げ出されている。多分、うつし取るものは絵姿という人魂ではないだろう。演劇的営為というものが相手にせざるをえない言霊なのだ。その言霊が百鬼を呼び、夜行を誘う。わたしがいうのも憚られるが、日本人が人魂を売っ払ったのはずいぶん昔のことだ、といってもだれも詰りはしないだろう。うつし取る人魂などはもうどこにもない。それでも、仏師は木塊に仏の魂を刻む。このうつし取ることと、刻み込むことの両極のゆれ幅の中に、吉祥さんたちが敷衍させざるをえなかった闇が横たわっているのだろう。
  さてすると、ここにはハムレットが、運命に翻弄されるハムレットがいるということになる。このように我田引水的にみることが許されるなら、さしずめ百鬼とは魔女たちのことになる。ではこの『怪 ?北斎夢幻・外伝?』(再出から『怪』と略す)はハムレットににて悲劇か?そうではない。
  マクベスが登場するのだ。百鬼の主・紅葉の名を借りて現れるのだ。ありていにいうことが許されるとして、この『怪』の主人公は紅葉が背負う闇である。すくなくともわたしにはそのようにある。だから、その止めどない奥深さへ思いをはせざるをえないのだ。ここで逆巻いているのはハムレットが奈落に叩き込まれるようにある悲劇的な闇ではない。むしろ背負うことになってしまわざるを得ない、マクベスのそれに近い。だが運命ではない。人としてのさだめににた匂いがする。
  やはりこう綴ってくると、無防備ながら、わたしはここで冒険をするしかない。つまり、わたしはどこまで「思いをはせる」ことができるのか、と問わざるをえない。
  例えば、柄谷行人の『マクベス論』は、マクベスのそのうめきを刺し貫きながら、あの「連合××」事件を呼び覚ましたと思うが、わたしたちはいま、きっとそんなところでたち止ることはできないだろう。16?17才の若者の手に握られた刃渡り十数センチの斧を、問われればいってしまわざるをえない直接的な起因が在ったとしても、そのようなどんな結われがあったとして、そこにどんな闇が口を開けているからか、どのように随意筋を操作することによって、上から下へ、重力よりも速く、その刃先を動かすことができるのか?
  この問いは、何物も指し示しはしないだろう。問い自体が無効なのだ。その予感があれば、鈍い刃先の結果はない。むしろことは始まる前に総て終わっているのであり、残されたものは茫然自失の作業であったのかもしれない。だがそれでも、やはりきっと、そのとき、解剖学者であった三木成夫のいう「生命記憶」は、よどんだ空気の中でかすかに去来したはずなのだ。なぜなら、人は人を人魂を売り払うように拒否することはできるが、生体であることの生物学的行動を停めることができないからだ。そしてだれも明確に何かを呟くことはできはしない。いまもそんな鳥羽口に、いまさらのようにわたしたちは佇んでいる。人を装い、さらにお手上げを装って……
  これらの事柄は本当に事件として、演劇的課題であり、思想的課題であるのだろうか?
  演劇的課題とするには、まだまだ生ぬるすぎる。かりに「演技とは可能性を行為することである」といい切ったとしても、まだまだである。それは「逢う魔が時」に訪れる、あの、ことゆえなくある魔が刺す、排気と吸気の間の間というものには太刀打ちできない。わたしはこれを、舞台では間が差すというが、この慄然とする人智をこえた修羅場を行為したものには生ぬるすぎるのだ。
  先へ進もう。いや、多分わたしたちは、すでにどこに導かれなければならないか知っている。百年前から知っているといっていい。それは百鬼の主・紅葉が背負う闇の正体である。もって回ったいい方をやめるなら、その闇はわたしたちが背負っている。だからこそ愕然とし、恐怖にすくむのだ。それをドストエフスキーは『悪霊』のなかで、自身を切り刻むようにしてニコライ・スタヴローギンに「告白」させた。百年前である。ここには一つとして、自らの気まぐれで少女を陵辱し、やがて自尊に耐え切れず納屋で首を吊る少女を、板の隙間から盗み見る、度し難いスタヴローギンという闇がある。これは「罪深さ」の闇であるに過ぎないのだろうか。そうであるのかもしれない。だが、視線をドストエフスキーのほうに移すと、スタヴローギンを生み出さざるをえなかった、その止めどない奥深さへ思いを馳せてしまうのだ。「神様を殺してしまった」ほどの話ではない。自己を根底から破壊しつくそうとするドストエフスキーの、極めて正当な攻撃的な悪意がある。つまりそれは「闇」そのものを破壊しつくそうとしているのではないのかと。
  世の人に習って、書くということは行為であることによって自己救済だとしよう。『悪霊』もまたそのような属性を一つとして持つのであろうが、ドストエフスキーがスタヴローギンにさせる「告白」を『悪霊』の一節として書き起こしたとき、そこではある種の逆転が起きてしまうことに思いを馳せざるを得ない。自己救済とは文字通り己を救うことであり、告白によって自己浄化をもたらす。しかし、人間の尊厳を正邪を超えその幅を見定めようとすることによって、ドストエフスキーのそれは人間性そのものを破壊しつくす。簡潔にいえば、ドストエフスキーの救済とは破壊のことである。そのようにしてしか成就されない。つまり、ドストエフスキーの背負ってしまった正当な悪意である。
  スタヴローギンの前には止めどない奥深さがある。それはまたマクベスにもあった。百鬼の主・紅葉が背負う闇と等質のものである。ここには退路はない、止めどない奥深い闇に向かって歩むことしか残されていない。
  こうして危ない綱渡りをしているわたしの拙文も、ようやく演劇的課題に耐えうる一つとしての「悪意」を前にすることができたようだ。再び綴るが、わたしたちのテーゼである「演技とは可能性を行為することである」をここで持ち出し、演劇的営為の磁場に躍り出るには、この「悪意」を行為しなければならい、というのは演技論という論の必然である。必然であるが、すすめば大言壮語で、黙して語らずを選ぶしかないと思ってしまうのだが……
  ままよ……
  舞台の上では「悪意」は生きるものとしてある。文脈からすれば悪を生き、闇を喰らわねばならない。振り下ろされる斧の刃は「生命記憶」を大きく凌駕し、更なる悪意で振り下ろされねばならない。そうすることで闇の幅を拡げるのだ。つまり、こうでしかありえないことを逸脱しての行為こそ、それを演劇的営為と呼ぶことができ、可能性を行為することにつながる、と嘯くことができる。換言すれば、位置づけられない斧があるなら、斧を鉈にし、鎌に、ドスに、刀にすることを試みることになる。もうほとんど言語論なのだが、つまりソシュールに習えば「語の価値は体系内の対立関係からのみ生じ、語の思考対象はシニフィエとともに誕生するのであれば、コトバ以前の純粋概念も、ア・プリオリに分節された事物も存在しない」(丸山圭三郎)のである。絶対的根拠などない、すべては疑いうると読める。あるいは価値の組み換えが求められる、ともいえる。大言壮語の文意に添うなら、「可能性を行為する」とは闇の幅を拡げることである。闇が無限であるとするなら、カントールの「無限ホテル」よろしく、もう一つの「無限ホテル」をでっち上げることなのだ。つまり闇に濃度があるのなら、無限であろうこの闇とあの闇は見分けがつくということなのである。
  斧が斧でしかないことが根源となっている。文化という枷をはめた状況のなかでそれは、ア・プリオリな純粋観念である。ノー天気にいってしまえば斧は鳩ではない。表現を担う側に問題がある。しかし、可能性を行為することによって、詩人の言葉のように斧の価値を奪うことは可能である。それは文化の幅の変容を意味する。「可能性を行為する演技とは」こうでしかないここを、そうでなくするというという意味で、演劇的営為である。もう一つの斧の物語が立ち上がることは可能である。このとき、板の上に登り役者たらんとする身体は、可能性を事実として行為する。それはカオスの不連続化の徒につく、にとどまるだけなのかもしれない。とはいえそれは、可能性を生きてみせるということである。
  このようにしてわたしたちはポスト・モダンの口を塞ぐことはできているはずである。それを演劇と呼ぶなら、そう呼ぶことによってかろうじて演劇を許容しうるだろう。
  ボツボツ、口幅ったい与太を飛ばすのをやめ、最後にもう少し『怪』に接近し、わたしたちの稽古場という具体性に閉じこもるのが頃合だろう。

  上記の与太話などから遠く離れて、劇団吉祥じゅん&女騎士の『怪』はあった。
  『怪』は説話を装っていた。説話とは「噂話や昔話などおもに口伝えで人々に広まった話をいう」と習い覚えているが、平安時代に編まれた説話集を想起させるものではない。かといって柳田國男の『遠野物語』のように生臭くない。頃合は世界定めによって江戸とされ、期を得て一回りすることによって錯覚される現実感が、わたしの思惑を奇妙にくすぐるのであった。もちろんフォークロアではない。むしろわたしは、能舞台に思いを馳せていた。そしてまた、わたしの拙い読書遍歴からすれば、あこがれてやまないものとして、上田秋成 → 泉鏡花 → 赤江獏という補助線を、強引に引いた上での近しい世界があるのを楽しんでもいた。
  奇妙なことを一つだけいまさらながら思った。多分それは、わたしが演劇というものをついに信じているからだろう。その度合いとは、演劇など最も信じるに値しないもの、という地平で演劇を信じている、ということになる。ここでの一番の難問は、約束事としての暗転が、座敷童子のようにいうことを聞いてくれないことである。暗転とは何も存在しない、見えないということである。そういうことによってイメージを広げるという約束事といえばいいのであろうか。色々な位置づけがあるであろうが、舞台の側からすれば、この約束事はすべてを観客に預けねばならないということである。つまり、本質的に責任が取れないのである。暗転だけが異質であり、理不尽なのだ。もっとも信用のおけないもである。
  『怪』の世界の暗転は、止めどない奥深い闇であるのだ。それを誰も疑うことはできない。





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編集:未知座小劇場   編集責任:闇 黒光
第2版:2001年06月01日 最終更新:2017年09月10日(Sun) 11:20:59 AM