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闇黒光演劇論集 2001年代

    1. RDBMSと演劇
    2. 情報と演技について

RDBMSと演劇 (2001.06.20)

大阪演劇情報センターです。是非お読み下さい。
ここでは大阪演劇情報センターの紹介やら、現状やら、お知らせやらをまとめてみます。
データベースの話から入ります。まずこのように設問しておきたおいと思います。「リレーショナル データベース マネージメント システムを演劇的に解決するには」と。

 

さて、オフコンやワークステションはもう一昔まえの話でしょうか?もちろん大きな会社などでは、今も稼働していると思いますが、かつての高機能計算機は、いまではあなたやわたしのまえに、パソコンと呼ばれてあります。このとききっと、安定したハードウェアの性能と、高価なソフトウェアでしか実現できなかった幾多のシステムは、個人にとって論外の夢ではない、ように思われますが、いかがでしょうか。なかでもここで言及しよ うとしている、データベースシステムは顕著な例ではないでしょうか。システムの導入に数百万円がかかり、人件費を入れれば一千万円をくだらなかった時代から、PC-UNIXを導入すれば一台のPC互換機と無料(オープンソースのフリーウェア)のソフトウェアで実現できるはずです。人件費にかわり、サポート会社のメンテナンスやサポート経費も百万前後からのメニューが登場してくるようになりました。
 
劇団といったらいいのでしょうか?あるいは演劇の力場といったらいいのでしょうか?演劇営為を自らの立脚点と見据える人たちの世界ではどうでしょうか。楽屋話めきますが、まずはスタッフのギャラを何とかということになるのでしょうか?
ここで「演劇と情報管理」などと見得を切って語るつもりは毛頭ありませんが、経験からしてそうとうお寒いのが現状だ、といってもいいのではないかと思われます。
ほとんど閑話休題にしたい心情を隠し切れません。それはこうです。
そもそも情報は演技論として語りうるのか?
「情報ねェ、データの蓄積でしょ。演技論で乗り切ればいいんじゃないの」
悪態をつく暇もないので、このようにいっておくことで、いかがでしょうか?

大阪演劇情報センターはまもなく、odic.ne.jpを表現論によって開きたいと思います。

ドメインを開くという意味を綴っておきます。
root権限を解放するわけではありません。アクセスを可能にするためセキュリティーを無視するわけでもありません。より重視します。眼目はODICのデータベースシステムを希望があれば、演劇に携わるあなたであれば使っていただく、ということです。データベースシステムのソフトウェアはPostgeSQLとMySQLです。
まもなくという意味に触れます。このようにいうのが正確かどうか、いまわたしには判断つきませんが、三種の神器はPHP、PostgreSQL(MySQL)、Apacheです。で、まもなくということですが、みなさんに使っていただくWebアプリケーションはただいま制作中、という意味になります。もちろんこのスクリプトやプログラムは個別になった具体性以外にないのですが、サンプルめいたリレーショナルデータベース システムは、大阪演劇情報センターの必要性として、制作過程ということになります。
Apacheの設定はサーバ側の領分ですので、PHP、PostgreSQLを利用できる方は連絡下さい。もちろん一環性としてWebスペースやIDアカウントを設定します。 Mailアドレスも同等です。お持ちのドメインがあり、希望であれば預かり設定します。WebスペースやMailアドレスだけでもかまいません。
これらはすべて無料です。スポンサーはオフィスゼット/ONSです。なお、カンパを拒否するものではありません。またスポンサーも募集しています。
さて、なぜそうなのかということになるでしょうか。このODICのサイトを熟読していただくのが一番なのですが、簡単に綴れば、この営為自体を大阪演劇情報センターは演劇営為と考えているからに他なりません。その論理はということになると演技論になりますので別稿を起こさねばなりません。同時に、この演技論に至る経緯もまた別稿に譲りたいと思います。
とりあえず、この場ではODICとは演劇archiveであり、演劇museumであり、一つの情報でありたいと考えています。それは大阪演劇情報センターの演劇営為であり、演劇情況というものがあるとすれば、その情況に対する立場ということになります。
きっと語らねばならぬ多くが欠落しているものと思われます。各所で別稿を用意することを誓い、ODICの展開が語らねばならぬ多くになればと思います。
なお上記中ODICと大阪演劇情報センターを使い分けてきました。ODICはWeb上の、ネトワーク上の、システム上の実体です。大阪演劇情報センターは大阪府八尾市佐堂町に事務所を置く社会的な実体です。
最後になりますが、上記趣旨に賛助いただける方があれば、ぜひご尽力をお願いします。

大阪演劇情報センター
大阪府八尾市佐堂町2−2−17
文責・河野明


 2001.06.20



情報と演技について (2001.10.16)

  -未知座小劇場と大阪演劇情報センターからの報告-

闇 黒光

与太話の様相を免れ得ないが、情報と演技を演劇的に解決するには、次のように綴り始めるしかないので、お付き合いを願いたい。
さて、情報とはデータの自己実現形態であり、この意味で情報は、われわれの前に表現としてあるといっていい。仮りにわたしたちが様々な情報に取り囲まれているのでれば、多くの時事の中で表現に立ち会っていることになる。決意された具体の前では、息苦しくなるのがわたしたち人間というものであろうが、また同時に、ひとつの決意には、もう一つの決意を対置しようなどとする、ならず者を装うことを止めぬものであるから、息苦し くもあり、抜き差しならなくもなる。
安寧な日常でもあるまいが、実は、情報という表現の前で、存在を問う自問に破れ、自死に至らんとする美しい光景が氾濫するわけでもないのは、情報がする表現の質が問われているからでも、わたしたちのなんとも頼りのない想像力のなせる業でもない。それはまず、情報が情報として自立することがないからだ。情報は常に、何々についての情報という位置を譲ったことはない。情報は常に修飾語として表現に荷担する。
ここまでくると、おかしなもので情報はそれ自体として表現ではない、ということになる。しかしデータは情報として自己を表現する。情報は表現を装う。
わたしたちはこうして装った表現に対峙する暇などないので、情報を取捨選択することになる。やがて情報を求めるための情報が求められる。ついには情報を求めるための情報こそ情況論である、などということになると、そもそもそこにあった情報など、ついにはあなたの背中に張り付いている、などとなりかねない。いや、情報の商品化の速度に見合って、あなた自身が情報になる。これをわたしは情報の超デリダ化論と呼ぶのだが、まあ 、一つの円環を見る。
この総体が情報の演技論である。
これは演技論たり得るか?と、問うなら、仮に、物語とは情報のことである、という演技論を対置する勇気を、少なくとも演劇人は持たねばならない、という語り口は今でもまだ通用するだろう。そもそも演技とは演じる技のことではなく、方法それ自体であるから、論たりうるかということには肯首するが、情報の演技論は軽くそれを打っちゃる。論証するまでもなく表現は、情報に絡みとられて瀕死の呈であることは間違いない。
ここから出発するしかないが、これを日常と位置づけるか、表現が病んでいると位置づけるかで、大いに演技の思想性を分つことになる。いずれにしろ、この状況を凌駕しうる表現の幅が求められて久しい。そしてそれはわたしたちの演劇的な、思想的な現代的な課題である。
知ったふうな口を利くと、表現とは今を生きることではない。また明日を生きることでもない。それは明日という可能性を私権化する抜き差しならぬ試みである。このとき状況が表現であると嘯くのは、表現として無効であるばかりでなく、情況論として破綻している。
ついに物語が情報にたちかえることはないであろう。それほどは歴史の成長過程を信じてもいいであろう。何よりもわたしたちはそのように選択してきたのだし、多くの叡智は注ぎ込まれてきたはずである。
さて、ここまでわたしは「情報」を「小屋」と置き換えることで、この拙文を綴ってきた気でいる。そこでマニフェストすれば、未知座小劇場と大阪演劇情報センターは、情報を一般性に趨さず、最大限の私権化を図り、演劇そのものをデータ化する、が表現となっている。そうして-
すべてを、演技論で突破せよッ!

ウイングフィールド『月刊WING HOT PRESS 2001/12』寄稿文(2001.10.16)  

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編集:未知座小劇場   編集責任:闇 黒光
第2版:2001年06月01日 最終更新:2017年09月10日(Sun) 11:20:59 AM